閑話休題

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データだけでみる12球団史:ヤクルトスワローズ〜元セリーグのお荷物球団〜

映画"42"でのパイレーツいじりに感銘を受け,12球団の2リーグ制以降の勝率と通算の勝敗収支(各シーズン終了時点での通算勝利数-通算敗北数)をグラフ化してみた.
今日はヤクルトスワローズ.今年はバレンティン以外はさんざんなシーズンだった.はたして64年間の戦い方はどうだったのだろうか?

勝敗収支と勝率5年平均

※勝率5年平均は前後2年ずつと当該年の勝率の平均値である.例えば2011年の勝率5年平均は2009年から2013年までの勝率の平均値となっている.
※勝敗収支は,(1950年以降の通算勝利数)-(1950年以降の通算敗北数).
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遠い5割

50年に新設されたwikipedia:国鉄スワローズは,とにかく弱かった.初年度の1950年は7位に終わっている.その後も低空飛行が続き,勝率5年平均が5割を超えるのは創立27年目の1976年である.昨今の横浜を遥かに上回る弱さだ.この時期の大エースと言えばwikipedia:金田正一.その凄まじい,人間離れしたスタッツを掲載する.

愛知の享栄高校を2年で中退し,国鉄に入団しているので,16歳からスタッツがある.17歳から30歳まで14年連続20勝以上をマークしている.またこの14年間には,投高打低の時代ではあったものの,6回の防御率1点台をマークしている.また300イニング登板も14年連続で達成している.この当時のエースにとって300イニング自体は珍しいことではないが,ここまで長い間にわたって300イニング登板を続けている投手はほぼいない.やはり「偉大」という言葉より他に形容のしようがない投手である.
 こんなピッチャーがいるのにAクラスすらままならないのだから,当時の国鉄の選手層の貧弱さがしのばれるというものだ.
 そんなチームが初の優勝を果たすのは1978年.広岡達朗監督のもとで成し遂げられた.
以降の戦いぶりについては稿を改めて.




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