閑話休題

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ネタバレなし映画感想:柘榴坂の仇討 -中井貴一が体現する「武士の倫理」-

直球の時代劇

 SAMURAI BLUE侍ジャパンー 近年「サムライ」というタームはいろんな場所で使われるようになってきた.いちいちその用法を事細かに分析してみる木にもならないが,体を使って闘う男の集団という一点を除き,江戸の侍とは似ても似つかない集団に「サムライ」とラベリングするその精神性には,途方もない浅薄さと皮相さを感じずに入られない.そんな近年の「サムライブーム」とは対照的に,本作はサムライの精神性,すなわち武士の倫理,というものを正面から扱っている.そのことは若松節郎監督と中井貴一のインタビューからも見て取れる.若松監督曰く「時代が変わっても変わらない人間がいた。武士道。日本人として、昔はこんなにかっこいいことがあったんだと気づかされた」そうだ.この言葉に嘘偽りはない.この映画はとっても頑固に,観客に迎合することなく,サムライの姿を忠実に模写した映画だった.


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あらすじ

 主人公の彦根藩士志村金吾は,剣術の才を見込まれ,大老井伊直弼の身辺警護役を任せられる.妻のセツを迎えて家督を継ぎ,全ては順調に見えた.しかし水戸藩士による桜田門外の変で直弼の暗殺を許してしまうことで,彼の運命は大きく変転する.金吾は切腹も許されず,直弼暗殺に加担した水戸藩士の首を持ってくるようにとの家命を受けて全国を放浪する.もちろん首を挙げた後は切腹が待っている.時は巡って明治維新と共に江戸の世は終わりを告げる.武士は皆散切り頭に洋服の出で立ちで,仕官先を幕府や藩から明治新政府に勤め先を変えた.それでも金吾は月代を剃り,ボロボロの袴に二本差しという時代遅れな風貌で主君の敵を捜し続けていた.時代が変わっても,彼は変わることなく武士の倫理を貫き続けていたのであった.そして妻のセツは,桜田門外の変以前からは考えられないようなみすぼらしい長屋生活でも文句一つ言わず,無禄の夫の生活を支え続けた.長い年月が経過し,金吾が一人として首を挙げ非れない中,暗殺に関わった水戸藩士は多くが自訴,自刃,打ち首等でその生を失っていった.生き残りは一人しかいなかった.
 その生き残りが井伊暗殺の口火を切った元水戸藩士佐橋重兵衛.直吉と名前を変えて,東京で人力車を引いていた.彼は桜田門外の変で金吾と相まみえ致命傷を食らっていた.金吾は井伊を守るために重兵衛にとどめはささなかった.重兵衛は切腹を試みたものの朦朧とする意識の中果たせず,生ける屍となっていつか来るであろう「復讐の日」を待ちながら生き続けていた.「俺はあの日武士として死ぬべきだったのだ」と自責し続けながら.
 そして桜田門外の変から13年後,雪の降りしきる新橋の駅で二人はついに「再会」を果たす.直吉が引き金吾の乗る人力車は,桜田門外の変で二人が相まみえた場所にほど近い柘榴坂(ざくろざか)に到着するー

武士の倫理とか生理的に受け付けないんですけど!

 この映画では金吾の不器用な生き様を通して,近世日本を支配した武士の倫理が活写される.ではその武士の倫理とはどんなものだろうか?映画からは2つの要素が読み取れる.
 第一の要素は,死に対して社会的な価値を付与しているということである.武士は必ず責任を死をもって償う.金吾が切腹を命じられなかったのは,金吾の父母が自刃したからであった.父母は自らの死によって金吾とセツを救ったわけだ.更に,象徴的なシーンとしては,金吾が事件にかかわった水戸藩士の最期を聞く際に,「打ち首」と「切腹」の違いにこだわりを見せる場面がある.「打ち首」は他者による一方的な死の処理であるが故に,責任の完了や汚名の挽回には一切寄与せずむしろ死を無意味に強要するという点において不名誉きわまりない最期である.金吾は大老を殺害するという国賊的行為を働いた連中には打ち首がふさわしいと主張し,彼らが自分で死を処理することになる「切腹」を許されたことに対して激怒するのだ.
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 第二の要素は,身分制に根ざした閉ざされた連帯意識をもっているということだ.武士の倫理では,藩という閉ざされた組織の中で上位者に対して盲従することが是とされる.そしてこの組織と対立する人間・集団に対しては,彼らの考え方に関わらず,死を与えんとする.金吾の生き方はまさにこれが当てはまる.彼は決して日本のことを大局的に考えた訳ではない.きつい言い方をすれば,井伊直弼に盲従しただけだ.このような有り様は軍事組織の一員としては全うな有り様といえる.でもそんな排他的な組織が社会の中で政治権力を独占することは,望ましくない.
 この2つの要素は,決して個々の武士が自らの意志で選び取るものではない.武士は没個性的なのだ.presetされた生き方が武士の倫理であって,彼らは自分で善悪を判断することはないし,そんなことは思いもよらない.
 ここまでの筆致から明らかかもしれないが,僕はこの映画に出て来る武士の論理,そしてそれを体現した金吾の生き方にはほとんど共感できなかった.もちろん時代に流されずに武士の倫理を貫く意志の強さには感心する.しかし彼の生き方そのものである武士の論理はとても評価できない.第一の要素として挙げた死への社会性の付与は,21世紀に生きる自分には全く理解不能である.身もふたもないことを言えば「いやいやwwwなんで死んだら罪は償われんの?死んだら何も出来ないでしょ. きちんと生きて償う方法を考えるのが普通の大人ってもんじゃないですかwww」って気分だ.江戸時代なら即刻打ち首だろうが... 第二の要素もとても首肯できるような代物ではない.前述のように,あまりにも没個性的だからだ.彼らは善悪の判断をしない.する必要も内容にあつらえられた武士の論理を心身に纏って生きているだけだ.僕はそんな生き方はしたくない.
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自分が金吾の生き方に共感できないのは,武士の倫理を貫いた点だけではない.彼の生き方からは封建的な発想も見て取れるからだ.金吾の妻セツは,全く収入のない金吾を支えるべく飲み屋で働く.そして帰宅後は食事の支度.もちろん子供はいない.本作はそれでもセツは夫を支えられて幸せであったような描写になっているが,どうなん?初日舞台挨拶では「男たち、武士はひたむきに生きて、女性はそれを支える。今の時代も男どもは女性をもっと大切にしたいですね」と若松監督が言っていたそうだが,そういう話か?単に男尊女卑的な考え方に染まりきっていただけだろ.

武士の倫理を真っ正面から描ききった快作

 ネガティブテンションの批判的な感想文になってしまった.でもその批判は映画に対してのものではない.ごまかすことなく活写された「武士の倫理」に対する反発が生んだものだ.
 武士の生き様を真っ正面から描くという若松監督が標榜したコンセプトは,本作においてかなり高いレヴェルで実現されているのはまちがいない.この映画は,ピカピカの鎧を纏ったイケメン俳優の豪快な戦闘シーンや,美人女優の着物姿などで客寄せをするような志の低い時代劇とも,「サムライ」がどんな気持ちで生きていたかを斟酌することもなく表層的な部分だけをすくって「サムライ」を自称するスポーツチームとも一線を画している.時代劇に対する熱意と誠意に溢れた映画だ.作り手側は武士の生き様を本気で見つめ,ごまかすことなく映像化してくれた.この映画でなければ,「武士の倫理」なんてことを考えることもなかっただろう.本当に見てよかったと思います.
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夢はじまり

p.s. でもそろそろ映画冒頭を主人公が悪夢にうなされる描写ではじめるのは打ち止めにした方がいいと思います(笑) 風立ちぬドラえもん,そして柘榴坂,どれも同じ始まり方でなんだかな〜

基本情報

監督:若松節郎
出演:中井貴一阿部寛広末涼子中村吉右衛門高嶋政宏藤竜也
公開年:2014年
上映時間: 119分

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