閑話休題

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ネタバレなし映画感想:永遠の0 -宮部久蔵(岡田准一)が教える正しい歴史の見方-


「特攻って要は自爆テロと同じだろ」「特攻は洗脳されてヒロイズムに踊らされただから」.
本作には20代の茶髪イケメンがこんな台詞を発するシーンがある.この言葉に反論することは難しい.しかしこの映画を見たあとなら,こう反論できる.「君は歴史解釈に踊らされてないかい?人間をそんな風に一面的にとらえるのは愚かしいよ」.こんな風に言えたらちょっとかっこいいね(笑)

映画『永遠の0』2013年12月21日(土)公開 予告 - YouTube

宮部久蔵って誰?

舞台は2004年.4浪の司法浪人(ロースクールの出来た今となってはもう存在しない種類の人間だ!)佐伯健太郎 (三浦春馬)は,祖母の松乃の葬式で彼女の初婚の相手が祖父の賢一郎ではないことを知る.母清子(風吹ジュン)の実の父も,賢一郎ではなかった.
 健太郎はフリーライターの姉,慶子(吹石一恵)に付き合って,自分の実の祖父,宮部久蔵(岡田准一)がどんな人間だったのかを調べ始める.遺族の会などの情報から,久蔵は昭和16年に松乃と結婚し,昭和20年に神風特別攻撃隊(以下,特攻)として出撃し戦死したことがわかった.健太郎と慶子は,その後,久蔵を知る元兵士への聞き取りを始める.しかし,元兵士は皆,口を揃えて「あいつは臆病者だった」と言う.そんな中,健太郎たちは「小隊長は,帝国海軍の中でも凄腕中の凄腕でした」と話す井崎(橋爪功)にであう.彼は久蔵の指揮していた小隊に属していたという.彼に続く何人もの元兵士の証言によって,謎に包まれていた宮部久蔵という男の人生が,だんだんと明らかになっていく……
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映像は邦画最高峰!

まぁ,さわりはこんな感じです.これ以上書いてくときりがないのでこの辺までで.お話は回想シーンが中心なので,戦争のシーンが多いんです.だから戦争シーンのVFXがしょぼいと一気に興ざめしてしまうたぐいの映画なんだけど,そこらへんは結構金をかけてきちんと描かれてた.戦艦「赤城」は外観のCG,内部の様子ともすげーよく出来ていた.さすがにVFXの第一人者山崎貴監督が手がけてるだけのことはあるって感じ.
ゼロ戦乗りの話だから空戦の描写も大事になる.もちろん多くの観客に取っては空戦なんてなじみがない.こういうなじみのない戦いを映画で描くときには「ルール説明」描写が大切になる.要は,戦いの勝敗を決するポイントがどこなのか,すなわち観客はどこに注目して見れば良いのかを説明するシーンのこと.これが雑だと,戦闘シーンは何が起こっているのかからっきし分からなくなってしまう.
 「ゼロダーク・サーティー」などは,その典型.クライマックスに近いシーンで発信器を付けたビンラディン側近をパキスタンの町中で追い回すシーンがあるのだが,追いかける側のもっている発信器の役割が映画の中ではっきりと描かれないので,発信器を見て「うしろ,うしろだ!」とか言っている人たちを見ても,もはや「志村,うしろ,うしろ!」とほとんど同レベル(俺は何歳だ?).スリルも何もあったもんじゃない.
 その点この映画は良かった.空戦は「いかに相手の裏を取るか」が空戦の勝敗を決する最大のポイントであることが,軍事に疎い自分にもよく理解できる親切な画作りがなされていた.
 真珠湾攻撃のシーンでは,もくもくと煙を上げて炎上するアメリカの軍艦(空母?)の群れと上空を旋回するゼロ戦部隊が,パールハーバを俯瞰する画面の中に収められていて,まさに壮観の一言につきる.
踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望のクライマックスや,アマルフィ 女神の報酬などでひどく幻滅させられてきた身としては,「日本映画でもこういう映像撮れるんだ!」という新鮮な驚きをもたらしてくれた.あのレベルの映像は日本映画ではなかなかお目にかかれない.そういう「力のある映像」を見るだけでも,1800円分の価値は絶対にある.

生の声から歴史を紡ぐ

閑話休題,この映画の一番のポイントは,元軍人たちの生の証言から宮部久蔵という人間の人生に迫ってるってこと.海軍に入隊し,特攻で死んだ,と書いてしまえば13文字で済むこの人の人生も証言を集めていけばとっても複雑だ.健太郎は丹念な聞き取りを通して,久蔵が何を考え,いかに行動し,どう死んでいったかを知っていく.
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 でも,普通僕は(そして多くの人もそうだと思いたいのだが……),過去の出来事を健太郎のように手間をかけて理解しようとはしない.その代わりにどうやって過去を理解しようとするかと言えば,それはもっぱら「歴史解釈」って方法になる.ま,要は大きな歴史的事実や当時支配的だった思想から,その時代に起きたあらゆる出来事を意味付けようとするってことですわ(まだ分かりにくい……).例えば冒頭の
「特攻って要は自爆テロと同じだろ」
「洗脳されてヒロイズムに踊らされただから」.
という言葉は,まさに「歴史解釈」によって当時の個人の心理を説明したものであるって言い方が出来る.一人一人の人間にはたくさんの物語がある.久蔵の場合,特攻に志願したのは,けっして洗脳されていたからでも,他人に強制された訳でもなかった.しかも彼の場合は「絶対に死にたくない」という強い思いを持ちながらも特攻に志願していった.しかも自発的に.久蔵の考えは,彼を知る人間の証言を集めることで彼の生の人生を知ろうとする努力によってしか知り得ない.
そう考えれば,洗脳とかヒロイズムとかいってしたり顔で特攻隊員の心理分析をしてみせる茶髪のイケメン男の解釈がとてもうすっぺらだということがわかる.人間はイデオロギーとか組織の論理にしたがって生きてるんじゃなくて,家族への愛とか,目の前の仲間との連帯とか,もっと普遍的な価値観をもって生きているはずなんだ.そういうことへの想像力を欠いた茶髪イケメン男の台詞は,過去を必死に生きた人間の冒涜にしかならない.
でも実際には,僕の過去の理解の仕方は,ほとんどが茶髪イケメン男と同じ「歴史解釈」になっちゃう.例えば中東のイスラーム原理主義組織による自爆テロ.ニュースでテロを知ったとき,僕はほとんど無意識に「イスラーム原理主義のドグマが彼/彼女を行動に駆り立てたんだろうな」と即断する.でも本当にそうか?イスラムの青年も久蔵と同じく,生の証言からしか分からないような考えに基づいて行動をしているのではないか?個人が何を考えたかにまで思いを巡らせるのは予想以上に難しいみたいだ.
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要するに何がいいたいかっていうと,個人がある時代をどのように生き,死んでいったかということは,その時代に支配的な思想やその人間の属している組織の主義主張からはほとんど分からないってことだ,そんな「歴史解釈」でゲットできる過去の理解ってのは,その時代を生きた人たちの行動の痕跡とか思いとかがすっぽり抜け落ちた頭でっかちなもんでしかないってことだ,彼ら彼女らの生き様に迫るためには,本人や本人を良く知る人間からの証言を集める,あるいは生の声を記録した文書を丹念に集めるしかないってことだ.いや,生の情報を集めるって文字で書くのは簡単だけど,実際にやるのはすげータイヘン,ていうかむり.めんどくさすぎるよ

過去を知ることなんて出来るのか?

生の証言をきちんと見るなんてことを通してしか過去を知ることが出来ないとしたら,そもそも過去を知るなんてことは出来るのだろうか?
ぼくは多分無理だと思う.過去というのは頭でっかちな「歴史解釈」以外の形では無理なんだと思う.「歴史解釈」でしか過去が理解できないんだったら,それはそれでしょうがない.そういう不完全な理解をこれからもやっていこうと思う.でも,「歴史解釈」で過去の人間の生き様を染め上げるような真似をしてはいけないと思う.それはまさに茶髪のイケメン男がやっていたことに他ならない.
そう考えれば結局,「過去を理解するなんてことはできない」というある種の諦観を持ち続けるということが,正しい過去との向き合い方なのだ.これはなにも過去の出来事に限った姿勢ではない.同時代のことであっても,生の証言を欠いた場所での出来事は,頭の中で出来事を意味付けることしかできない以上,結局「歴史解釈」と同様の方法でしか理解できないことになる.う〜ん,じゃあ世の中のことってたいていのことは分からないじゃん.ちょっと怖いな.

結論:泣きたい方は必見

閑話休題,話が途方もなくなってしまったので下世話な映画の感想に戻りますm(__)m
この映画,中盤から結構周りの人が泣いてました.それもそのはず,きちんと泣かせるための仕掛けがいくつもしてあるんだから.終盤は結構泣かせるためだけのためとも思えるシーンが出てくるので,根性の曲がった僕のような人間は逆に興ざめしてしまったくらい.正直山崎貴監督の作品は,ALWAYS 三丁目の夕日しかり,泣かせるための仕掛けがきちんとしすぎていると思ってしまうのは僕だけだろうか?(ぼくだけか(笑))
ま,めちゃめちゃ泣ける映画であることは間違いなし.最後のサザンの曲も最高!

クリスマスを寂しく一人で過ごすあなた,年賀状配達ノルマがあまりに辛くて全部どぶ川に捨ててしまった郵便配達アルバイトのあなた,例年のようにお年玉をもらおうと親戚の集まりにいったものの「もう25歳でしょ」といわれ一円ももらえなかったあなた,『永遠の0』でワンワン泣いて,すっきりと2014年を迎えるのも悪くないかもしれません.