閑話休題

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ネタバレあり映画感想:ブランカニエベス~闘牛のメメントモリ的無常観を映像化~

作り手の映画愛あふれるモノクロ&サイレント映画ーー
この前情報だけで見る前から「いい映画だ!」と言わなくちゃいけない息苦しさがある.考えすぎかな?

映画『ブランカニエベス』予告編 - YouTube

オスカー映画「アーティスト」の再来?

 モノクロ&サイレントということになれば,「アーティスト」を条件反射的に思い出す.実は僕はあの映画はあまり楽しめなかった(希代の傑作「幕末太陽伝」との2本立てで見たということは割り引かなければいけないが……).純粋に僕の好みじゃなかっただけかもしれない.ただ確実に心に引っかかったのは「アーティストは素晴らしい映画だ」といわなければいけない「強制力」みたいなものを感じちゃったってことだ.
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 映画はもともと台詞のない映像作品.役者は台詞に頼らず(厳密には字幕があるけど),身振り手振りや表情のみで観客をつかむ演技術を発展させてきた.そしてその技術は今日でも映画における演技の基礎をなしている.そんなことは当たり前すぎて忘れられているが,サイレントからトーキーへという時代の流れに翻弄された俳優と女優の生き様を描くことを通して,映画という表現形態の最も原書的な姿を再認識させてくれた映画.それが「アーティスト」なのだろう.なにこの硬い文章(笑)
 でもそんなこと言われたら,映画通と認められたい人は少なくとも「良い映画だ」ぐらいのことは言わなきゃいけない.「映画芸術のはじめて」をみせてくれるモグタン的な映画なわけですから.映画を愛する人がつまらないと思う訳がないですよねってな論法だ.だからこの映画は,モノクロサイレントを忠実に再現したという時点で,批判をされない安全圏に居座っているように見えてしまう.映画そのものが面白いか,つまらないか,そういう一番映画にとってクリティカルな部分がないがしろにされたままオスカーをとった映画なんじゃないか.そんな気がしてしまった...考えすぎだね.
要はアーティストは

  1. 映画好きだったら面白いと言わなければいけない映画,
  2. この映画の良さが分からない人間からは映画好きの肩書きを剥奪してよいという合意が出来ている映画

という風に感じられてしまった.まぁ,踏み絵みたいにみえたってことです.オスカーを取ったという事実には見栄っ張りなアカデミー会員の虚栄心が作用しているような気もしている.
これから感想文を書く「ブランカニエベス」にも,「アーティスト」が持っていたような「シネマトグラフィカル・コレクトネス」(もちろんpolitical correctnessが元ネタ)が強く感じられてしまったのは事実です.

ネタバレあり感想-序盤は凄くいい-

閑話休題,物語の順を追って感想を書いていく.いろんなところでも書かれているように,物語のベースは白雪姫です.
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舞台は20世紀初頭の南スペイン,セビージャ.マタドールのアントニオ・ビヤルタは闘牛場でのパファーマンスで四肢不随の大けがを追う.身重の妻カルメンは早産の末女児を出産するが息絶える.看護婦エンカルナは,不適な笑みを浮かべながら,悲しみに暮れるビヤルタにつきっきりで介護した.女の子の名前はカルメンシータ.祖母とともに順調に成長していたが,父親とはまだあったことがなかった.祖母の死に伴って父親の実家である大きな屋敷で暮らすことになるが,そこにまっていたのは後妻に収まっていたエンカルナだった.
ここら辺から「白雪姫感」が存分に出てくる.
カルメンシータはエンカルナに酷使されながらも重労働をこなしていく.そんなある日,カルメンシータは幼い頃から飼っていた鶏のpepeを追って,絶対に行ってはいけないと言われていた屋敷の2階へと上がっていく.そこで彼女は,車いすに座った四肢不随の父,ビヤルタに出会う.彼はエンカルナにいいように利用され,自室に閉じ込められる日々を送っていたのであった.カルメンシータは2階の自室で異常な性行為に明け暮れるエンカルナの目を盗んでは2階に上がり,ビヤルタから闘牛の技術を学んでいった.
ビヤルタは(恐らく)意図的にエンカルナにより殺される.更にカルメンシータによる財産の相続を阻もうとエンカルナは家臣に命じてカルメンシータも殺そうとする.必死の逃走虚しく,彼女は溺死したかに思われた---
一番最初のシーンは闘牛場でのビヤルタの身のこなしが非常に美しい.さらに矢継ぎ早に起こるできごとに息つく暇もない.中盤は,エンカルナの狡猾さとそれにもめげずけなげに生きるカルメンシータの対照的な姿が印象的だ.また,これは序盤〜中盤に限った話ではないが,ラテンの音楽が全編と押して使われており,それだけでも「ラテンの気分」が満喫できる.
ここまでは凄く良い映画(何様だよ).

尻切れとんぼ

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ところが,である.物語はここから盛り上がりを見せるどころか,どんどんしぼんでいく.
溺死したと思われたカルメンシータは小人(dwarf)の闘牛団のメンバー,Rafitaによって助けられ,闘牛団とともに旅をすることに.カルメンシータは全ての記憶を失っていたが,父に授けられたマタドールとしての技術だけは覚えていた.見る見るうちに頭角を現し,女闘牛士として名を馳せる.
そしてクライマックス.父が散ったセビージャのコロセル闘牛場での闘牛にのぞむ.死んだと思ったカルメンシータの生存を知ったエンカルナは,ひそかに闘牛場へとむかう.
見事なパフォーマンスを披露したカルメンシータだったが,観客からお捻りを受け取っている最中,顔を隠したエンカルナから毒リンゴを受け取る.純粋な彼女はそれを食べてしまい,闘技場で倒れる.
うん,ここら辺がほんとに早いんです,さしたる盛り上がりもなく淡々と物語を消化していく感じ.
 白雪姫をモチーフにしている以上,Rafitaとのエピソードはもっとあってしかるべきだと思うが,ほとんどない.彼の存在感も希薄だ.ヒーローは遅れて登場するものとはよく言うが,今回に関しては遅すぎたんじゃないの?
エンカルナも後半は凄く影が薄い,だから物語の推進力となるべき「父の人生をスポイルしたエンカルナへの復讐」という本来あるべき軸がすかすかになっている.
カルメンシータの闘牛のシーンもそういう意味でクライマックスのはずなのに盛り上がりに欠けたなぁ.

衝撃のラストシーンの意味

 ところが,ところが,である.ここでほんとのほんとのラストシーンが登場する.いくらネタバレをするといってもここばかりは言うわけにはいかないので,どんなラストシーンかは映画館で,DVDで,Blue-rayでご確認を.
 かなり意味深なシーンなので,いろんな解釈があるはず.僕は監督が闘牛のメタファーとしてラストシーンを設計したのではないかと思った.
 闘牛は最後,マタドールが牛に剣を突き刺す.牛はゆっくり,徐々に死へと向かう.もう死ぬことは決まっている.それを四方を囲んだ観客に見られながら,見せ物として死んでいく.観客はおろか,マタドールさえも,次の日には死んだ牛には関心を払わなくなるだろう.そして彼らは再び日常へと戻っていく.その日常は,闘牛が開催される前と何一つ変わらない日常である.公衆の面前で生じた牛の死とは,その程度のものなのだ.
 人間だって,その死が社会に対してはほとんど影響を及ぼさないという点においては変わりない.葬式,49日まではみんなの記憶にあっても,5年,10年と立てばどんどんその人の死の生んだ波紋は徐々に,ゆっくりと静まっていく.そして人々の記憶からも消えたとき,その存在は完全に消える.
そういった,闘牛のたたえている,「メメント・モリ」的無常観を,ラストシーンでは表現したかったんだろうな,と思います.

最後のシーンはいろいろな解釈があると思いますが,ぜひ劇場でご覧あれ.
さんざん悪口を言ったけどこの映画はすごく面白かったです!!!

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