閑話休題

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ネタバレなし映画感想:もらとりあむタマ子 -前田敦子の生々しさに感服-


久々に良い映画を見た気がする.映画が終わるのが寂しくてもっと見ていたい気分になった.
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前田敦子について

この映画の前田敦子,かなり不細工だ.もちろん良い意味でね.特に映画前半はちょっと目を背けたくなるくらいだ.詳細は映画館でのお楽しみだが,冒頭のシーンは例のスキャンダル(?)を意識したカットとしか思えない.あれは事務所とかOKだったのか?
その不細工さは,生々しい不細工さに他ならない.奇麗どころの女優さんが,おブスさんの役をやるときは,コミカルだったりあるいはすごく非現実的なキャラクターだったりと,何らかの「保険」がかけてあることがほとんどだ.例えば「リバウンド」の相武紗季はおデブさんの役をやったし,「モンスターの」高岡早紀は醜い女の役をやった.でもそれはあくまでも元の顔やスタイルの延長線上にはない不細工さでしかない.二人とも相武紗季高岡早紀に戻れば,役を演じる前と同じ「どっから見てもきれいな女優」にもどれるという保険がかかっているのだ.というかかかっていないと,ただ単に醜い姿をさらしているだけになってしまう.その姿はリアルな不細工さ,とでも言うべきものだろう.

ところが,である.前田敦子はそのリアルな不細工を本作で惜しげもなくさらしている.トイレから大声を出すシーンやスクリーンにボサボサの髪でだるそうな顔をさらしているシーンは,何か見ていけないものを見てしまったような痛々しい気持ちになる.この人普段は顔の輪郭を髪型で補正しているようなところがあるが,それすらしていないし.

でも,この生々しい不細工さが痛々しさで終わらず,たま子という人物のリアリティを生み出しているところに前田敦子の役者としての良さがあるのだろう.それはAKB48でセンターを務められたという事実とも通じる点かもしれない.言い換えればどんなに演技の技術を磨いても出せない「普通っぽさ」を演じられることこそが彼女の女優としてのストロングポイントということだ.
本作終盤では,彼女が結構長い時間しゃべるシーン(といってもこの映画の中では結構長いというだけで普通の映画ならままあるシーンだけど)が登場するが,そこでもこの「普通っぽさ」は生きている.このシーンでの彼女の演技は,ぼそぼそしゃべるわセリフは聞きとりにくいわでセオリーからはほど遠い.それにもかかわらず,いやそれゆえに,このシーンには尋常ではないリアリティが生まれている.

何もおこらない

前田敦子はさておき,本題へ入ろう.単刀直入に言ってこの映画,結局何もおこりません.映画だったら何を起こしたって良いはずだ.地球に接近する小惑星を爆破しても良いし,史実をグニャグニャに曲げておもしろおかしく清洲会議の様子を映像化したっていいんだ.でもこの映画はほとんど何もおこらない.出来事を強いてあげるならば,大卒後実家に帰省した女性が,家を出て一人暮らしをしようかな,とぼんやり決意したことくらい.そんな話普通の映画なら,とりとめもなさすぎて,成立する訳がない.
でも見た後に何も感じない訳じゃない.外から見ればちっぽけで生温い世界に生きているようにしか見えないたま子の鬱屈ともがきが,まるで我がことのように感じられるようになる.何もおこらないのにいろんなことを感じる,不思議な映画だった.
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あらすじは書くまでもないが,映画の公式サイトhttp://www.bitters.co.jp/tamako/に大体の内容は載っている.グータラ大卒女のたま子が実家で独り身の親父とうだうだと過ごすうち,徐々に自立への道を進んでいくという話だ.これで大体のあらすじはばらしちゃったけど,それが映画の魅力を減じることは一切ないと断言できる.やっぱりへんな映画だ.

監督は山下敦弘監督.『マイバックページ-』や『苦役列車』の監督だ.この監督の得意技は,長回しを使ってその場に流れる「空気感」を映像化すること.
『マイバックページ-』で言えば,自衛官を刺し殺した後の左翼活動家の反応を映すシーンがそれに当たる.普通の監督なら,刺した直後に寄声を上げて逃げるなどの分かりやすい描写を選択するところだ.しかし『マイバックページ-』では,左翼活動家は刺し殺した後も明確なリアクションを取らず表情を変えず,かといって落ち着いているわけでもない仕草を見せ,所在ない動きをするのみ.一見意味不明な描写だが,長回しで映し出されると不思議と彼の同様や焦りのようなものが見ている側に伝わってくるのである.言葉もなければ明確な動作もない.なのに彼の心の動きは手に取るように分かる.
抽象的な言葉で言い換えるなら,何気ない表情や仕草の積み重ねを長回しで映しながら,人物の内面がしみ出してくるのを待つ.そんなマジカルな手法こそが山下監督の真骨頂なのではないか.
苦役列車』で言うなら,前田敦子演じる女子大生が,森山未來演じる北町貫太の目の前で寝たきり老人の排尿を手伝うシーンがこれに相当する.
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たま子,頑張れ!

閑話休題,本作は「何もおこらない」映画だ.勢い平凡な日常の長回しが多くなる.部活の中高生を相手にしたスポーツ用品店で一人開店の準備をする親父.レンジで温めたロールキャベツを寝ぼけ眼でむしゃむしゃ食うたま子.たま子の女物の下着を干す親父.お菓子の包み紙の積み上がった机の横で『天然コケッコー』を読むたま子.冒頭部分で思いつくだけでもたくさんの長回しがある.

一連の描写では,何がおこる訳ではない.でも彼女の生きる空間を包んでくる空気感だけは伝わってくる.その空気感は,見る側の心に働きかけて,いろんな感情を呼び起こす.見る人によって生じる感情は様々だろうが,僕に生じた感情は,たま子を応援する気持ちだった.そうだよな,グータラしたくてしてる訳じゃないし,何か頑張りたいって気持ちはあるんだよな,頑張れ!みたいなね(笑).この感情を説明するのは難しい.それはこの感情が作中の何気ない仕草の積み重ねからあふれてくる「空気感」に僕の心が反応して生まれたものだからだ.とてつもなく気持ち悪い言い方になってしまったが,これが一番良い表現だ.何たってこの映画は,頭ではなく体で見る映画なのだから.