閑話休題

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映画感想:阿修羅のごとく

あらすじ

出典阿修羅のごとく | Movie Walker
昭和54年冬。三女・滝子(深津絵里)の突然の呼びかけで、久し振りに竹沢家の4姉妹が集まった。70歳を迎える父・恒太郎(仲代達矢)に、愛人と子供がいるというのだ。俄かには信じられないが、滝子の雇った探偵の写真には、見知らぬ女性と子供と写る父の姿があった。母・ふじ(八千草薫)の耳には入れないようにしよう、と約束する姉妹。この事件を機に、一見平和に見えた女たちがそれぞれに抱える、日常のさまざまな事件が露呈してくる。未亡人の長女・綱子(大竹しのぶ)は、華道の師匠で生計を立てており、出入りの料亭の妻子ある男性と付き合っているが、その妻に勘付かれてしまう。次女の巻子(黒木瞳)は、サラリーマンの夫と2人の子供と平凡な家庭を営んでいるが、最近夫の浮気を疑い始め、ノイローゼ気味。図書館に勤める三女の滝子は、潔癖症の性格が災いして嫁き遅れている。父の愛人の調査を頼んだ内気な青年・勝又(中村獅童)と恋愛感情はあるのだが、その恋はなかなか進展しない。四女の咲子(深田恭子)は、売れないボクサー陣内(RIKIYA)と同棲中。新人戦に勝ったあと、家族に紹介し結婚しようと思っている。母・ふじ だけは、夫の愛人問題も耳に入っていないのか、泰然と日常を過ごしているようだった…。季節が移り、滝子はようやく勝又と結ばれ、結婚に至る。その結婚式場に現れた咲子と、今はチャンピオンになり結婚した陣内だったが、控え室で陣内は倒れ、意識不明の重体となってしまう。夫のことで心乱れる咲子を襲うアクシデント。そのとき、敢然と事に立ち向かったのは、咲子と普段何かとぶつかることの多い滝子だった。父の騒動でも、母の身の上に急展開が生じた。巻子が、恒太郎の愛人宅の前に行ってみると、そこには呆然とドアを見つめるふじの姿があった。母はいつの間に知ったのだろう。老いた母の心にも「阿修羅」が宿っているのか。巻子の姿を認めた時、ショックで倒れてしまうふじ。両親のいざこざを自らとかさねあわせて複雑な思いを抱きながら、見守る4姉妹たちだった……

感想

 前半はひたすら家族への幻想とそれに対する失望が描かれる.家族とは何の隠し事もなく全ての事情を共有し,メンバーが苦境に陥ったら全員で支える--.そんな家族像は父親の浮気を発端としてがたがたと音を立てて崩れていく.子供達もみな大人になって自分の家族を持ち,家族同士で体面を取り繕うために隠し事をして他人のような関係になっていく.メンバー同士の物理的・精神的距離がどんどん広がっていき,いわば経年劣化した核家族の状況がリアルに描写されている.
この辺りはまさに東京物語や一連の成瀬作品等に代表される日本映画全盛期の一大テーゼ,「家族像の変化」を描いたものであり,従って本作は日本映画の保守本流を走る映画と言えるように思う.原作こそ20世紀のものだが21世紀にこのテーマを正面から扱ったことには,それ自体に大きな意義があると思う.

ところがである.
こうした家族のseparationに対する悲哀を表明するだけで終わらないのが本作の凄いところだ.

物語の相が変わるのは母が倒れて死ぬところからだ.
これで家族は決定的に壊れるかに思われるが,それでも家族は壊れず,助け合いが生まれる.(結婚式描写などに顕著だが)末っ子娘(深田恭子)の苦難を身を挺して救ったのは一番疎遠であった三女(深田恭子)だった.母は父の浮気を知りながらも,父に寄り添い続けたことが死後に分かる,こうした姿を見るにつけ「何があったって壊れないし,理屈を通して助け合いたくなる,それが家族なんだ!」という新しい家族像が浮かび上がってくる.銭勘定も,理屈もなしに「家族だから」という理由だけでつながっていられる--.そんな存在があることの幸福を,皆が噛み締めるところで本作は終わる(全員集合してみんな微笑んでいる).
家族とはかくも強いものなのか,そんなことを痛感させられる映画である.

P.S

長澤まさみ黒木瞳-小林薫夫婦の子供役として出てきます.この映画何気にキャストが豪華ですね.