閑話休題

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小林秀雄『考えるヒント2』の感想

基本情報

小林秀雄(1991)『考えるヒント2』.文春文庫;246頁,590円.

--「忠臣蔵」「学問」「ヒューマニズム」「哲学」などの12篇に「常識について」を併載し、考えることの愉悦を教えてくれる必読書--   出典:『考えるヒント 2〈新装版〉』(小林 秀雄・著) | 文春文庫 | 書籍情報 | 文藝春秋

感想

文章を書くにあたっては「何かしっくり来ない」という感覚が何時も書くことに対する意欲をそいできた.その意欲をそぐ厄介者の正体は何なのだろう?小林秀雄の考えるヒント2を読んで少しばかりわかったような気がする.

これまでの自分は文章を書くに際して力みすぎていた.自分の思考を文章化するに際して,心の中を,自分が過去に見た頃のあるモデルに当てはめて表現することに固執していたのである.そのために自分の感じたことと違うことを書いているような空疎な感情が惹起するのを抑えられなかった.なぜ自分の思考が表現したいのに,既知のモデルにあてはめるという方法をとってしまったのか.一つの理由は,「間違いではない文章」を早く書いてしまいたいという思いに駆られていたからではないか.自分の思考の活性度を,文章を書いている時と思考のみに集中している時で比較すると,前者のそれは後者のそれと比して遥かに劣る.書くとなると,文章の構成・修辞に集中力が傾けられることも手伝って思考の集中力が大いにそがれてしまう.結果として自分の心の中に沸き上がった思考を文章の形で忠実に再現することを放棄し,自分の生の思考を勝手知ったる旧知の思考の型枠へとはめ込んでしまう.

ここまでは文章を書くと言うことに限定して論を展開した.しかし借り物の型枠に自分の思考をはめ込んでしまうという行為は,「書く」という行為に留まらず,自分の思考過程全体を支配している悪習かもしれない.

心の中,或は頭の中で思考を巡らせているときには,自分の心の中には確かに存在するが,まだ言語の形で表現することが出来ない不定形の思考のようなものが存在している.今の自分はそうした思考の原型をの言語化を図ることを忌避し,それらを既に自分が見聞きしたことのある思考の型枠へとはめ込んでしまう傾向があるように思われる.もちろんこの曖昧な物言いからも明らかなように「自分の心の中には確かに存在するが,まだ言語の形で表現することが出来ない不定形の思考のようなもの」などというものはおよそ名状し難い思考と感情の中間生成物のようなものである.これを「心像」とでも呼慣らわすとすれば,心像はピントのずれた映像よろしく確たる輪郭を備えているが,そのままでは何者か判然としないファジーな存在に他ならない.
この心像を文章の形できちんと伝えるには二つの過程を経ねばならない.最初の段階ではピントを合わせる.自分の心に映じる不定形の像の正体を見定めようとする作業と言い換えても良い.これ自体は心がけと日頃の訓練次第では実行可能であると思う.しかしピント合わせの結果生じるクリアな心像は,非常に歪な形をしていて,凡そ過去に見聞きしたことのある者ではない.これをきちんと言語化するのが第2段階である.ここで注意しなければいけないのは,心像が「これは〓〓である」という単純なstatementによって表現することはできないということである.過去に自分が陥っていたのはこの部分に存していた罠である.複雑な形であるが故に複雑な概念・モデルを利用して一発で説明してやろうと試みる.そんなことは到底かなわない.「自分の感じたことと違うことを書いているような空疎な感情が惹起する」だけである.モデルが複雑であればあるほど自分でいじって微調整を施すことができなくなるから手に負えない.むしろ自分が十分に使いこなせる単純な概念を組み合わせながら,複雑な心像の形を言語化していき,その実体を細大漏らさず説明しようとするべきなのだ.そうなれば使われる言葉は簡単なものになっていく.それでいいのだ.

つまり「書く」という作業には思考そのもの,乃ち自分の心像を言語化することで思考を明確に認識するという作業,と同じプロセスが必要だということになる.簡単に答えにたどり着こうとするのではなく,心像と正面から向き合ってその特徴をじっくり考え,その姿を見いださんともがき続ける営為こそが質の高い思考と文章を生み出す.

post script

小林秀雄の文章は,誠に恥ずかしながら初めて読んだが,喚起力に満ちているという印象を受けた.それは小林が多くの人がぼんやりとは頭に浮かべるものの,言語によって表現することが出来ないが困難なためにぼんやりとしたままに終わっていた思考に対して,明確な言葉を与えているからではないだろうか.忠臣蔵をめぐる諸考察は,靖国神社参拝問題を考える上で非常に大きな示唆を与えてくれているように思った.

正直言って小林秀雄の本は19-20世紀的意味での「教養」がなければ十全に理解することはかなわない.それでも彼の持つ文章の喚起力からは自分のような人間でも得るものはあるのだから,文章の力ってすごいな〜